不登校について考える

学校という集団生活の枠組みの中に溶け込めない子供に悩み続けて、何とか大きくなったもののまだまだ心配なことはあります。自分の対応は悪かったのではないか、後悔も反省もいっぱいあります。

一体どうしたら良かったのか

子育ての悩み:不登校

私が子供の頃は、学校に行くことが普通のことで何の疑問も思わず通っていました。もちろん、友達と喧嘩したり、嫌なことがあったり、嫌なことを言われたり、嫌いな授業があって行きたくなかったり。行きたくないけど、行っていたという自分の経験から行きたくないという子供の気持ちを理解することができてなかったと思います。

小さい頃は

保育園に通っているころから兆候はあったのかもしれないです。

私が働くために預けることにした保育園。朝から行きたくないと大泣きし仕事にいけないので、行きも帰りも私の母に頼む毎日。さみしかったであろうと思う。

寝る、起きるという普通に感じることも思うようにはいかず、朝は起きない、夜はなかなか寝ない。昼間にどれだけ遊んでも、夜絵本を読んでも中々寝てはくれませんでした。絵本10冊読んだことあります。

離婚をして一人で育てていかなければならない、実家に頼ってはいたものの兄達が跡取りとしているのに甘えてはいけない。プレッシャーもありました、体力のない私がどこまでできるかという不安も。

私が、男性が苦手となってしまったために、その敏感さが子供にも影響し、知らない男性を見ると大泣きして後ずさるという風になってしまいました。

不安で泣く日々に子供の精神状態も良くなかったと思います。

幼稚園時代は

今の主人と出会い、少しづつ仲良くなって子供の「男性が怖い」というのが良くなればいいなと思って様子を見てました。男性と全く関わらないというのは子供がのちに大きくなって恋ができなかったら、もっとひどくなったらと思ってのことだったんですが、これが良かったかどうかは、子供が死ぬまでわからないなと思います。

姉妹ができたら大きくなって相談相手となりお互いの心の支えになってくれるかもしれない、と思ったものの子供にとっては、ライバルができたという感じになり、夜驚症になってしまいました。

中々寝ないのに寝たと思ったら、1時間後に泣いて家の中を走りまわってました、そして30分くらいするとまた寝る。酷い時は、1日に2回、3回とありました。下の子がまだ生れて間もなく夜中の授乳があったときは、交互になったりして私自身睡眠があまりとれなくなってきて、いつもふらふらでした。

泣き叫ぶあまり、嘔吐したり、おねしょしたり、今思っても大変でした。そんな子供に対して怒ったりして子供が一番さみしい時に優しく接してあげれなかったことは後悔してます。

小学生時代は

新しい環境になじむまですごく時間がかかり、登校は嫌がり、何とか行ったかと思って見てみるとけろっとして友達と遊んでます、帰りはいつまでたっても帰らない。夜驚症は小学4~5年くらいまで続いてました。

下の子を育ててみて初めて上の子がちょっとおかしいのではないかということに気づき始めたんですが、保健所の定期健康診断では、保健師さんに相談したことがあります。「愛情が足りないのよ、ぎゅっと抱いてあげればいいのよ。」 私は、その言葉から自分が責められてる気がして誰かに相談しようという気にはなれなくなってしまいました。

もちろん、子供にとって急激に変化する環境に慣れずさみしいと思ってるのはわかってました、子供が一番つらいだろうとも。

毎日毎日どうしたら子供が良くなるだろうか考えない日はありませんでした。それが愛情がたりないからの言葉で片付けられてしまうことにショックもありました。私の人間ができていないということもわかってます。

反抗期は悩む

小学高学年からから反抗するようになってきました。”父親がいないのはお前のせいだ” ”自分だけ幸せになって、私は父親の顔すら知らないのに” ”何も言ってくれない、勝手に決めてバカヤロウ” 

覚悟はしてましたが、これほどの憎悪があるとは思わずショックでした。もちろん、子供が一番つらかったのはわかってたんですけど、子供の思うようにはわかってなかったんですね。

子供が小さいころは叩いたりしたこともあります、いけないことだと思います。酷い言葉も言ったことも。”死ね”って言ったって子供は言いますが、覚えてないです。言ってはいけない言葉です、ごめんなさい。覚えてないのもひどいです。だから、その分、私自身にかえってくるだろうとは思っていたのですが。

元々朝起きられなかったのが、どんどんひどくなり学校に行けな日も出てくるようになりました。遅刻していくと周りに何か言われることが嫌で起きなかったら行かない、という日もありました。昼夜逆転していきました。

今思うと行かないなら行かないでずっと行かずにいるという方が良かったのではないかと思います。普通にしなければいけない、に縛られていた私のしたことは、子供の理解ではなく、周りからどう見られるか、勉強しなかったらこの子の将来はどうなるのだろうという自分の見栄、世間体にとらわれていたのだと思います。

知らないうちにリスカ(リストカット)をするようになっていました。痛いとか嫌がってたんでそんなことはしないだとうと思ってました。カッターを持つようになり、していたんですね・・・。

中途半端にしてきた対応は、子供の気持ちが楽になることはなく、余計に長引いたのかもしれません。行ったり行かなかったりしながら中学を卒業し高校生となります。

高校に行くようになっても、私に対してはわだかまり、怒りがあるのを感じました。その中でも卒業はしたいと子供自身が考え卒業したことは、子供自身の成長だとおもいます。 

行かなくてよいのか

私は、子供が学校に行きたくないっていうんであれば行かなくてもいいんじゃないかと思います。

子供の声を聞いていたようで聞いていなかった私は、親としても人間としてもダメダメな人間です。もっと楽しく子育てしていれば良かった。普通にこだわらずにもっと個々の性格を尊重できる人間でいたかった。

リスカの後は消えません。ケロイド体質で傷が盛り上がるので傷が残ってます。子供は黒歴史だと言ってますが、そこまで追い込んでしまった私の責任だと思ってます。

今悩んでる子育て中のお母さん一人で悩まず、学校に行けなくても気を長くもって行けなくても楽しんで生活してください。不登校を受け入れることはなかなかできないですけど、個々の幸せは人それぞれ違うと思います。それを大事にして生きてください。

一人でも苦しんでる子が楽しく生きられるように日々願ってます。

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